大震災から10年 🗾

あの大震災から10年の区切りの日が過ぎました。

10年前のあの日、私は高層マンションの最高層階の自宅に在宅していました。約2分間もの大きな横揺れを受け、必死に家具などを押さえて揺れが止まるのを待ちました。当時の長野市の震度を調べると4〜5弱と記録が残されています。東京は震度5弱以上だった大地震でした。高層マンションの高層階は実際の震度より1以上は横揺れが大きいでしょうから、当時も震度5強程度の被災はしていたと思います。いろんな物が割れたり落ちたりしました。震源から400km以上も離れた長野市でこの被害、震源地海岸の揺れや津波のレベルは生きた心地のしない壮絶なものだったと容易に推測されます。

長野市に関してはその翌日の長野県北部地震という別地震で震度6強を受けており、その3年半後のまた別の長野県北部地震で震度6弱の大地震を受けています。私の当時の自宅はこの最後の地震で最も大損壊を受け、もし在宅していたら死んでいたと思われる被災でした。大きな保険も下りました。冷蔵庫も家具類も悉く倒れた惨状からしてマンション高層階の推定震度は6強若しくは7だったと思います。東京にはタワーマンションという超高層マンションが多数ありますが、一体どれだけ揺れてどれだけ被災しているのか正直知りたいです。高層階マンションなんて絶対に購入してはいけません! 私は上記3つの地震の厳然たる被災世帯です。

10年前の大震災は、こんなデータが残されています。
地震規模を表現するマグニチュードはM9.0。これは20世紀1901年以降の記録測定が可能になって120年間で第4位の規模です。もちろん120年間の中では世界最大の人的・経済的被害をもたらした大震災でした。津波の高さは最大で約20〜40m、仮に20mの津波が直撃すると6〜7階の建造物が水没します。屋上に逃げても助からなかったのです。3階や4階の海岸近くの学校や病院は丸ごと津波に呑み込まれたケースも多かったようです。まさかこんな高さまで来ないだろうと外を見ていた方々が多数津波に攫われてしまったのだと思います。死者は行方不明含めて約22,500人、うち70%以上の約16,000人は65歳以上の高齢者だったといいます。

宮城県石巻市立大川小学校は津波が川を逆流して丸ごと呑み込まれてしまい訴訟も完全には終わっていない悲劇の建物ですが、河口から約5㎞も内陸で上流でした。標高は数mと低かったものの、逆流した濁流が呑み込んだ小学校と裏山までの高さは10mを超えていたそうです。まさか屋上まで10m近くあった小学校が丸ごと攫われるなんて想像も付かなかったのだと思います。

原子力発電所は全国各地にありましたが、10年前を境に一斉に発電は中止されました。しかし近年少しずつ稼働が再開されており、現在9発電所が稼働しています。私の学生時代から発電の割合は、火力・水力・原子力の順に6:1:3と教えられたものでした。徐々に火力から原子力に移行していく予定と教わったものですが、実は2011年までこの比率は大きく変わっていませんでした。30年前も10年前も6:1:3の知識でテストは満点を取れていました。予定の移行は速やかに進んでいなかった訳ですね。原発反対派は根強く居たのでしょう。しかし2011年から大きく発電割合は激変します。年々変わり過ぎるので問題として成立せずに10年が経過して出題保留のまま現在に至っていると思われます。地理出題データとしては5年前くらいのものが採用されて出題に至るので、激変過程という出題しか出来なかったと思います。

例えば世界人口はブルゾンちえみさんの持ちネタ(2017年の流行語)で有名になった35億人(男性)、全体で72億人で3年ほど前は出題されていましたが、これは2015年発表の推定人口、2020年発表の推定人口は76億人となっています。これはあくまでもカウントされた推定人口であり、実際の人口は80億人は下らないでしょう。今地理の問題で出題されたらどう答えたら正解になるかと言うと、72〜75億人なら正答、70億人や76億人だと早過ぎたり古過ぎたりで減点対象(審議)、80億人だとまだどこも発表していないので不正答となるでしょう。実際は恐らく80億人は超えている筈ですが、証拠が無いので正解なのに不正答になってしまう訳ですね。

ちなみに2020年の日本の最新発電割合は、火力・水力・原子力・太陽光など(再生可能energy)の順で、7:1:1:1がおおよその答えになりますが、年々変わるので怖くて出題出来ないでしょう。水力発電だけはダムの数はほぼ変わらないので10%はほぼ不変です。

最後は社会の勉強の話になってしまいましたが、地震大国日本では必ずいつかまた悲劇は繰り返されます。それが1,000年後なのか100年後なのか30年後なのかは分かりませんが。この10年はとても東北地方に行ける状況では無く行ってませんが、学生時代に自転車で日本中を走った人間なので、女川町や松島や三陸海岸なんてはっきりと記憶に残っています。福島県の原発付近の長閑な町や村も鮮明に憶えています。

10年前に亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、復旧と復興、特に心の復興を願って止みません。
もう少ししたら、東北地方を再訪したいと思っています。